在韓駐在員の現地リポート


by nazdravie
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カテゴリ:世界遺産探訪( 6 )

f0008573_22334448.jpgお隣の国なのに、韓国にどんな世界遺産があるのか、よく知らない人も多いのではないでしょうか?そういう僕も、最近ユネスコのホームページで、今まで行ったことのある世界遺産を確認してみて、やっとどこが世界遺産なのか知ったくらいですから。改めて地図を広げてみると、意外とたくさんの韓国の世界遺産を見に行ったんだなぁ、と驚いてしまいます。

ソウル郊外にある水原華城もそのひとつ。ソウル駅から地下鉄1号線で約1時間、水原駅でタクシーに乗り換えさらに10分ほど行くと、繁華街のロータリーのど真ん中に、水原華城のシンボル・八達門が見えてきます。全長5.7㎞の城壁で囲まれたこの城ですが、見所はほとんどがその城壁と、城壁の合間にある門なので、「水原華城観光=城壁に沿って歩く」と考えて間違いありません。

韓国のお城が日本のそれと違うのは、いわゆる城下町が城の中、つまり城壁に囲まれた中にあったということです。日本のお城は、お堀の外側に街が広がっていましたよね(だから「城下町」と呼んだのでしょう……)。だから、日本のお城のイメージからすると、韓国のお城はとても大きく感じますし、お城の中にあった町も、いまはすっかり20世紀の地方都市の装いに変わってしまっているので、どこか城壁で作られたドーナツのように思えるかもしれません。

f0008573_2233557.jpg八達門をはじめ、水原華城にある門はどれも重厚で魅力的です。個人的には長安門が、そのフォルムはもちろん、ロケーションその他を総合的に判断して一番魅力的だと思いましたが、このへんの判断は、まあ人それぞれでしょう。八達門と長安門は、どことなくソウルの南大門や東大門に通じるものがありますし、華西門や華虹門などは、それぞれユニークな造りでとても印象的でした。

さて、この水原ですが、世界遺産の水原華城だけが有名なわけじゃありません。韓国の人なら誰でも知ってる、「水原カルビ」でよく知られている街でもあるんです。実際、水原華城を見終わって、結構評判のいい焼肉屋さんに行ったんですが、そこの骨付きカルビのうまいこと、うまいこと。もうお城がどうだったか、城壁がどうだったかなんて、忘れてしまいそうなくらい、美味でした。

と、最後は何か食べ物のほうに話が飛んでしまいましたが、ソウルから1時間ちょっとで気軽に立ち寄れる水原華城。もしソウルに来ることがあれば、是非ついでにここを訪れることをお勧めします。もちろん、焼肉を食べるのも忘れずに!
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by nazdravie | 2006-09-11 22:40 | 世界遺産探訪
f0008573_1133631.jpg日本にもたくさんの世界遺産があるわけですが、なんと広島にはそのうち2つの世界遺産があるんです。名前を聞けば「あぁ!」と納得すると思いますが、意外とみんな知らないんですよね。そういう僕も、これらが世界遺産だったとは、つい最近まで知りませんでした。ひとつは厳島神社、そしてもうひとつは、今日ご紹介する原爆ドームです。

原爆ドームは、平和公園のすぐそば、元安川のほとりにあるんですが、もともとはチェコ人のヤン・レッツェルという建築家によって建てられた、広島県物産陳列館というもの。これが1945年8月15日に投下された原子爆弾によって破壊され、今の形に成り果ててしまったわけです。当たり前の話ですが、「原爆ドーム」という名前は、後からつけられたわけです。

この原爆ドームのある平和公園一帯は、広島の緑のオアシス的な役割をしていて、朝から夕方まで、観光客だけでなく、公園を散策する市民の姿を多く見かけます。コンクリート・ジャングルなんて言われる大阪の人間からすると、ちょっと羨ましいですね。

平和公園は、文字どおり平和について考えるにはうってつけの場所です。公園のあちこちにいろんなモニュメントがあって、それぞれに原爆にまつわるストーリーがあるので、なかなか勉強になります。その中でも特に有名なのは、なんと言っても「原爆の子の像」です。折り紙で鶴を千羽折れば病が直ると信じて折鶴を作り続け、ついに目標の1000羽になる前に命がつきた、というエピソードはあまりにも有名です。僕も小学生のときの修学旅行でここを訪れ、千羽鶴を置いた記憶があります。

f0008573_1145184.jpgあと、韓国がらみで言うと、在日韓国人の被爆者慰霊碑も、紆余曲折を経て、ようやく平和公園の中に移設されました。詳しいことはよくわかりませんが、もともと韓国人慰霊碑は、公園のすぐ外側に建てられており、以前から公園内への移設が言われてきましたが、韓国系の在日と北朝鮮系の在日の人のあいだで意見に一致をみず、なかなか実現しなかったそうです。そんなエピソードも、原爆が落とされた当時と、その後の日本の社会を今に伝える貴重な「記憶」です。

原爆ドームをカメラに収めるとき、どのアングルにしようか迷ってしまいますが、僕としては、元安川を挟んだ川辺からのポイントと、平和記念館前の原爆死没者慰霊碑(アーチ状のもの)の中に見える原爆ドームが、お勧めです。

原爆ドームや平和記念資料館などというと、どこか堅苦しいイメージがあるかもしれません。もちろん、それを見ずにここを去るわけには行きませんが、都会のオアシスとして、広島市民に愛されている平和公園も、平和な日本を今さらながらに実感させてくれる、もうひとつの風景です。
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by nazdravie | 2006-05-27 01:16 | 世界遺産探訪
f0008573_2339341.jpg数日前、ニューズウィーク誌で「最も危機に瀕している世界の七つの驚異」のひとつに、中国の万里の長城を挙げたというニュースを見ました。代表的な観光コースである八達嶺だけを見ていると、「いったにどこが危機なのか」と思ってしまいますが、地図で万里の長城を確認してみると、あらためて「宇宙から見える唯一の人口建造物」といわれる(実際はピラミッドも見えるようなので、「世界唯二」?)、とてつもないスケールの長城の中で、最も整備されているところを、私たち観光客は訪れているのだということがわかります。

現実には内陸のほうへ行くと、現地の住民が長城の壁などを削って持ち去り、それを売って生活の糧にしている人たちもおり、長城全体をできるだけありのまま保存する、というのは年々難しくなってきているようです。それでなくても、その大規模さゆえに風化などに対する保存が大変なのに、足元の住民が自ら遺産の価値を毀損しているというのは、何とも言いようがありません。

とは言っても、直に万里の長城を訪れてみると、やはりそのスケールの大きさに驚かずにはいられません。これだけの建造物を作るのに、どれだけの人たちが動員されたのか、作業がどれだけ大変だったか、他人事ながら、そしてはるか昔の出来事ながら、ついいらぬ心配をしてしまうほど、万里の長城の大きさは印象的でした。

f0008573_21502570.jpg僕自身はこれまで2度長城を訪れました。最初は2000年1月、そして2回目は2005年4月。最初は氷点下20度を超える厳しい寒さの中、みやげ物を売りに来る子どもたちを振り払いながらの見学でしたが、5年後の訪問では、そうした風景はほとんどなく、日本でも見かけるみやげ物屋が静かに軒を並べていました。こんなところにも、日に日に変化する中国の一端を垣間見たような気がします。

どこもそうですが、万里の長城は体力勝負です。歩いても、歩いても、キリがありません。それでも、長城の城壁に沿って歩く爽快さは格別です。また、長城から望む周囲の自然も、これが外敵の侵入を防ぐために作られたという建造当時の理由がかすれてしまうのど、のどかで雄大なものです。ケーブルカーもありますが、体力に余裕があれば、やはり是非最初から最後まで歩いて回りたいですね。

八達嶺の出口付近には、360度のパノラマ画面で万里の長城の解説ビデオを見ることができる、ちょっとしたシアターがあります。たしか中国語のみだったと思いますが、画面だけを見ていても、万里の長城のいろいろな顔を見ることができるので、ここはとてもお勧めです。ただ、入口付近にあるレストランでは、北京名物のジャージャー麺を出してくれるのですが、味もしょっぱいしぜんぜんおいしくないので要注意です。食事はできるだけ市内でとってくるか、見学後市内に行ってからにするのがよいと思います。
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by nazdravie | 2006-04-05 23:40 | 世界遺産探訪
f0008573_21572979.jpgスロバキア中部の町。バンスカーというのが、炭鉱の町という意味だそうですが、その名のとおり、かつては炭鉱で栄えたこの街は、世界文化遺産に指定された街でもあります。マルティンから真直ぐ南へ進み、美しいクレムニツァを過ぎると、バンスカー・シュティアヴニツァが現れます。在りし日の東欧の姿をそのまま残す街ではありますが、どことなく寂れた、薄暗い感じがするのは、スロバキアのどの都市を訪れても共通する第一印象です。街のシンボルである、ペスト記念塔をはじめ、街中の建物はどれも歴史を感じさせる荘厳なもので、見るものを圧倒します。決して活気があるとは言えませんが、ある意味古きよきヨーロッパの名残を感じさせる、なかなか渋い魅力のある街です。

ペスト記念塔の近くにはこの町の鉱山の歴史を今に伝える展示館があり、さまざまな石が展示されています。この分野に関心がある人はかなり見ごたえがあるでしょうが、僕のような鉱山に無知な者にとっては、少々退屈な場所でした……。

小さい町ですが、街並みは申し分なしです。それこそパリやウィーンなどとは違う、飾り気のない普段着のヨーロッパの一地方都市、いや、東欧の一地方都市といった感じで、歩いて回るだけでも退屈することなく、昔の街並みを歩いて楽しむことができます。

f0008573_0144950.jpgバンスカー=シュティアヴニツァには、旧城と新城があります。旧城はペスト記念塔からあるいて10分ほどのところにあります。城というには小ぢんまりとしていますが、当時の風習や金属細工について垣間見ることができます。残念ながら、解説はスロバキア語のみとなっています。スロバキアは中国などといっしょで、ガイドが基本でついてくることが多いのですが、ここも言葉がわからないのに、一生懸命説明してくれるガイドさんに申し訳なくて、「ウンウン」とか頷きながら説明に聞き入る僕がいました……。

新城は、市中心部から少し丘を登ったところにあります。主にトルコ軍との戦争に関する展示物が多いのですが、この日はハンガリーからの中学生(小学生かも?)の団体がいて、大賑わいでした。そのうちのひとりが、頭にコノペ(マリファナ)のバンダナを巻いていて、ちょっと(いや、かなり?)驚きました。

新城に行く途中、偶然お葬式の場に出会ったのですが、貧しい家庭の人なのか、参列者は神父さんのほか数人だけで、外には古い小型霊柩車が棺が入るのを待っていました。バンスカー=シュティアヴニツァが何となく物寂しげに感じたのは、このためかもしれません。
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by nazdravie | 2006-04-04 23:51 | 世界遺産探訪
f0008573_017323.jpgベルリン=シュパンダウ駅を出発してから約5時間後、列車はチェコのプラハ=ホレショヴィッツ駅のホームに到着しました。ドルトムントを過ぎ、ドイツとチェコの国境を越え、だんだんプラハに近づくにつれ、むかしテレビで見た、どこか陰鬱で殺伐とした東欧の街並みが車窓を通り過ぎていきました。それはプラハの駅に到着してからも同じで、正直ここが世界中の人が賞賛して止まない、あの美しいプラハの街なのか、心配になりました。

とりあえず、プラハ=ホレショヴィッツ駅から宿所のあるヴァーツラフ広場へ向かうことに。フロレンツ駅で一度乗り換え、ムステーク駅で下車しました。地下鉄は日本や韓国の地下鉄と違い、やはりどこか暗い雰囲気が漂っていて、ホテルに荷物を置く前に、気分はすでにブルーな方向に向かっていました。そして階段を上がりついにプラハの中心部・ヴァーツラフ広場に足を踏み入れました。そこで見たプラハの光景は……。

「…………」

言葉が出ませんでした。あまりにも美しすぎて。ヴァーツラフ広場の突き当たりにある国立博物館の、圧倒的な存在感にまず驚き、そこから一直線にこちらに伸びる広場の両端には、ここがまるで数世紀前のヨーロッパであるかのような錯覚に陥らせるに十分な歴史的な建築物が、ところ狭しと林立しています。下に目を向けると、ここ1~2年に敷き詰められた「テーマパーク式」でない、数世紀の間に時代に磨かれた、黒光りのする石畳が網の目のようなプラハの町を張り巡らされています。

ホテルに荷物を置き、旧市街に足を運びましたが、到着してすでに1時間は経とうかというのに、まだ驚きと興奮はおさまりません。細い路地を歩き、またさらに細い路地を……。どこまで行っても、石畳の道は続き、ずっとこの地を見続けてきたであろう多くの建物が、次から次へと目の前に現れては通り過ぎていきます。

f0008573_0165191.jpgスメタナが愛したモルダウ川に架かるカレル橋は観光客でいっぱいでした。橋の両端に並ぶ彫刻、橋の上でジャズの演奏をするストリート・ミュージシャン。川のほとりには「新世界から」で有名なドボルザークの銅像があり、その道路向かいには、そのむかしフランツ・カフカも住んでいたというユダヤ人街が広がります。もうこれだけで十分すぎるくらい感動しました。プラハの街全体がユネスコの文化遺産に登録された理由が、十分すぎるほどわかるような気がします。

ビロード革命を経て当時のチェコスロバキアがソ連と決別したとき、プラハ城のバルコニーからヴァーツラフ・ハヴェル大統領がチェコスロバキアの民主主義を高らかに宣言しました。それから10数年経ち、自分がその場にいるのが不思議な感じがしました。プラハ城から眺めるプラハの街は、「百塔の街」という別名のとおり、数多くの塔、そして赤い屋根の建物がひしめきあい、プラハが一部ではなく、街全体が昔のままの美しさを今に残しているのを実感しました。

ヨーロッパの都市を回った人たちは、「プラハは最後に行くべき」とよく言うそうですが、それほど多くのヨーロッパの都市に行ったことがない僕でも、「そうかも知れない」と思いました。いや、もしプラハ以上に美しい街があるのなら、是非とも行ってみたいものです。果たして、そんな感動がまた味わえるのでしょうか?
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by nazdravie | 2006-04-01 23:54 | 世界遺産探訪
f0008573_2322307.jpg地平線まで広がる草原、どこまでも続くひまわり畑……。そんな大自然の中を車でひた走ると、目の前に突然、「天空の城 ラピュタ」に出てきたような城跡が姿を現します。城下にある街が寂れて見えるからか、城そのものが廃墟と化してしまったからか、どことなく冷たく物悲しい感じのするこの城跡が、スロバキアの誇る世界文化遺産のひとつ、スピシュ城です。

もともとはモンゴル人の来襲に備えて13世紀に作られたもので、その後増改築を繰り返しましたが、18世紀末の火災で残念ながら現在のような廃墟となってしまいました。スピシュ城に限らず、スロバキアには廃墟と化した城(厳密にいえば城跡)が数多くあります。保存が進まないからなのか、他に何か理由があるのか、そのあたりはよくわかりませんが、とにかく城よりも城跡が多いな、と感じました。

交通の便がよくないのですが、私は幸い、友だちの車で訪れたので、特に苦労することもなくここにたどり着きました。駐車場、というよりは、城の麓にあるだだっ広い砂地に車を停め、歩いてスピシュ城を目指しました。何もかもが広々としていて、あまり距離感がつかめなかったのか、歩いても、歩いても、なかなかスピシュ城にたどり着きません。ドライブの疲れと暑さのせいもあり、ようやく城の入口に着いた頃には、少しくたびれてしまっていました。

f0008573_23225581.jpg確かに廃墟には違いありませんが、このスピシュ城、ダテに世界遺産に登録されているわけではありません。近くで見てみると、その昔、この城がとても大きかったことがよくわかりました。城を上がり城壁越しに周囲を見渡すと、見事に周囲を一望できる、壮大なパノラマが眼下に見渡せました。なるほど、モンゴル人の襲来に備えるために作られた、という理由がこれでわかるような気がします。

スピシュ城の麓には、スピシュスケー・ポドフラディエとスピシュスカー・カピトゥラという小さな町がありますが、これらもスピシュ城と合わせて1993年にユネスコ世界遺産に指定されました。スロバキア東部は、交通アクセスもあまりよくなく、なかなか足を延ばしにくいところにありますが、それでもフランスやイタリアといった大国の豪華絢爛な街並みや建物とは対照的な、素朴で懐かしい古いヨーロッパの原風景を楽しむというのも、決して無駄なことではないと思います。
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by nazdravie | 2006-03-29 23:24 | 世界遺産探訪