11月29日付けの聯合ニュースで、アニャンハルラのオーナーでもある鄭夢元・ハルラ建設会長についての記事がありました。アイスホッケー、そしてアニャンハルラに対するオーナーの熱い思いが伝わってきます。
急速に力をつけてきているカンウォンランドの成長にも目を見張るものがありますが、フランチャイズ化を通じて地に足をつけた取り組みを続けるハルラの存在は、やはり韓国では他の追随を許しません。オリンピック誘致のため、企業の広告塔として……、そんな世俗的な目的を超えた、ホッケーに対するオーナーの純粋な愛情が、ハルラを魅力的なチームに育ててきたんでしょうね。
さて、今日からバックスとの2連戦。鄭オーナーの期待に応え、ハルラは連勝することができるでしょうか?
---記事和訳---
<人びと> 鄭夢元・ハルラ建設会長 「アイスホッケー発展に尽くす」
「誰もができるスポーツじゃありませんよ」
アイスホッケーチーム・アニャンハルラの発足時からオーナーを務めている鄭夢元(チョン・モンウォン)ハルラ建設会長(52)は、リンクに対する愛情をこのように表現する。
まれに競技場を訪れる他種目のオーナーと違って、鄭オーナーはハルラの試合がある日は必ずアイスリンクに足を運ぶ。
ホームリンクのアニャンアイスリンクでおこなわれる競技はすべて観戦し、日本や中国でのアウェー戦も、週末なら都合のつくかぎり見に行っている。
仕事でどうしても観にいけないときは、夫人のホン・イナさんから得点状況を国際電話で随時確認するほど、夫婦のアイスホッケーに愛する愛情は格別だ。
社内の意見に耳を傾け、1994年12月にハルラの前身であるマンドウィニアを立ち上げた鄭オーナーは、次第にアイスホッケーの虜になっていった。IMFの危機にあっても、ソクタプ建設(1998年)、現代オイルバンカーズ(2002年)、ドンウォンドリームス(2003年)など、一時は4つあった実業チームが、次々と廃部となっていく中、ハルラだけは生き残ってきた。
鄭オーナーは、当時会長職にあったハルラグループの中核会社であるマンド機械などの経営権を明け渡す困難な状況においても、アイスホッケーチームを手放すことはなかった。
毎年30億ウォンの運営費がかさむわりには、マーケティング効果が低いマイナー種目のため、他のオーナーのようにチームを手放しても不思議ではないが、彼は「あきらめたくなかった」と振り返る。
「息子のようだ」と話す選手たちを見捨てるわけにはいかなかったからだろうか。彼は選手が入団するとき、兵役に就くとき、シーズン開幕前など、特別な日には夫人とともに食事に誘い、自宅や別荘に招待し、結婚式には必ず参席するなど、選手に多大な愛情を注いでいる。
ハルラのフォワード、キム・ハンソンは「自分らしいプレーができなかったとき、親父にはくどくどと説教されるが、(鄭)会長もチームが負けた日には、顔も見ずに行ってしまう。アイスホッケーが本当に好きで、いつもリンクに来て応援してくれるので、アイスホッケー人としてありがたい」と笑いながら話してくれた。
鄭オーナーは、ハルラをアジアリーグの頂点に立ち、すべての面で秀でた名門チームに作り上げるという夢を持っている。大きなレベル差を感じていた日本チームも、アジアリーグをともにしながら、その差がかなり縮まってきた。
また、彼にはアイスホッケーを愛する人間として、ひとつの願いがある。彼は「尚武チーム(訳注:実力のあるスポーツ選手が、兵役中も競技が続けられるように作られた組織。国軍体育部隊)ができることを心の底から願っている。それだけでも(停滞しているアイスホッケー界)全体が活性化する」と話す。
除隊後、それまでの実力を発揮できず、ひっそりと引退していった選手の姿に心を痛め、尚武ができて、選手たちが末永くプレーできることを望んでいる。
鄭会長は「一度見れば、これほど面白いスポーツはないのに、アイスホッケーは(国内では)マイナースポーツだ」と残念がり、こう続けた。「アイスホッケー発展のために尽くしていきたい。」
記事原文:
聨合ニュース(韓国語)